山一園製茶の歴史
昭和48年(1958年)茶斡旋業の川連(榛原郡榛原町)に才取り(さいとり)として働き始めたのが、父榮一が本格的に茶業にたずさわった原点です。当時の厳しい社長の指導の下、いろんなお茶を触り、見て飲んだこと。商いをとおして県内外の茶農家、茶商との、人脈を作り上げたことが、今につながる大きな一歩となりました。
昭和38年 小澤榮一が第4回茶香服大会に静岡県代表として出場し、団体で全国1位となりました。茶香服大会は現在の全国茶審査技術大会、通称闘茶会(とうちゃかい)のことです。闘茶会は、茶の審査技能を高めるため、茶の外観や抽出したお茶を飲んで茶産地を当てたりする、全国規模の茶審査技術競技大会です。才取りとして、いろんなお茶を商っていた父榮一は、その経験と感性をいかして、受賞することができました。
昭和41年(1966年)に、先代の小澤榮一が、小澤榮一商店として開業しました。
川連でいろんなお茶の販売にたずさわる中で、榮一が注目したのが棒茶。当時は煎茶取引が主流の時代。煎茶の原料となる荒茶(あらちゃ)とは別に出物(でもの)と呼ばれる茎、毛羽(けば)、粉、が収穫した茶葉からの製造過程で副産物として出てきます。この出物を分別、精製したものが棒茶。安価だけど美味しさ、コクの強さは煎茶以上という棒茶の価値に、他の人に先駆け気づき、これを商いにしようと、この年に独立、小澤榮一商店をはじめました。
自宅横に小さな工場を建てて、手間のかかる作業工程、ほこりまみれの工場内。苦労しながら母とふたりで、棒茶のおいしさをもっともっと多くの人に知ってもらいたい。まじめに本物の美味しさを求めたい。その思いだけで仕事を続けていきました。
昭和61年(1986年)山一園製茶株式会社として法人企業となりました。屋号の山一園は、才取り当時からお世話になっていた、藤枝の老舗茶問屋山崎屋(屋号は山一山崎)さん当時の社長さんからいただいた名前です。
雑誌クロワッサンに「山一園製茶の棒茶」が紹介されました。
俳優の江守徹さんが、全国の美味しい物、優れた商品を紹介。その中に「山一園製茶の棒茶」が選ばれました。雑誌クロワッサンに載ったことで、通信販売(当時は通販が今のように多くなかった時代です)のお客様が急増、今でもその当時のお客様、ご家族様とはお付き合いが多くあります。
この雑誌クロワッサン掲載がきっかけで、東急百貨店東横店、吉祥寺店、日本橋店、札幌店の「クロワッサンのお店」で山一園製茶の棒茶販売がスタートしました。東急百貨店では「クロワッサンまつり」という催事も開催され、何度となく出展しました。
昭和63年(1988年)私、代輔が山一園製茶株式会社へ入社。仕入れ、加工、そして通販事業に取り組んでいきました。
平成8年(1996年)代輔が静岡県茶業青年団代表として、第43回全国茶審査技術競技大会に出場。3段位を獲得。
平成22年 昔ながらの香りの強いお茶「放任茶」で静岡園経営革新事業の承認を得る。
平成26年 焼津市主催の新商品開発ネオ焼津プロジェクトに参加。洋食を美味しくする緑茶SCENT OF TEAを販売開始。
平成27年 日本茶アワード2015でSCENT OF TEAディナーティが「ナチュラルフレーバー部門 審査委員特別賞」を受賞
平成29年度 「食のオスカー」とも呼ばれる英国高級食品小売業組合が主催する「Great Taste Awards」でSCENT OF TEAミルフルールが日本茶として初めて三ツ星を受賞。
平成29年度 「食のオスカー」とも呼ばれる英国高級食品小売業組合が主催する「Great Taste Awards」でSCENT OF TEA ディナーティが一ツ星を受賞
平成30年 小澤かおるが日本茶アドバイザーの資格を取得
平成30年 棒茶にこだわった「BOUTEA WHITE」と「BOUTEA BLACK」を販売開始
山一園の自慢商品です。深蒸しの新茶を摘んだあとの工程から出てくる茎のみを集め、棒茶に仕上げました。煎茶とは又一味違った茎の甘みとコクを存分に楽しむことができます。
756円(税込)(深蒸し茶) 5g x 15袋
静岡県牧之原市の茶農家、久保田和宏さんが栽培する葉肉の厚い上質な茶葉。一番茶のみでつくった深蒸し茶です。茶葉が広がりやすい三角ティーパックに入ってます。
648円(税込)ティーバッグタイプ 3g x 5袋です。焙煎温度を極力低くして、茎のよさを活かしたナチュラルテイストの優しい味に仕上がっています。
648円(税込)